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【終了】第7回「なぜスポーツに政治を持ち込んではいけないのか?――政治を表現するアスリートの出現と『ポスト・スポーツの時代』」(2020/7/22)

更新日:2023年6月12日


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【終了】第7回「なぜスポーツに政治を持ち込んではいけないのか?――政治を表現するアスリートの出現と『ポスト・スポーツの時代』」(2020/7/22)

ゲスト:山本敦久(成城大学教授)


「アスリートは政治に関与してはいけない、ただ人を楽しませるべきだと言われることが嫌いです。これは人権の問題です」(大坂なおみのtwitter)

 時代の権威や支配に対して従順な態度を取り続けてきたアスリートたち。そうした風潮やイメージによって、しばしばスポーツは脱政治化された領域として考えられてきた。その結果、アスリートは政治に無関心であるどころか、既存の支配的なジェンダー構造や人種関係、階級不平等、資本主義の暴挙を補強する存在だとすら考えられてきた。

 そうやって「スポーツなんて真剣に考えるものではない」という知識人やジャーナリストのスポーツ嫌いと身体的存在を侮蔑する無意識的な仕組みが出来上がってきた。そうした態度が、「スポーツに政治を持ち込んではいけない」という強力な保守言説の磁場と結託し、結果的にスポーツという政治空間を非政治化することに加担してきた。

 しかし、ここ数年、近代を貫いてきたその非政治的岩盤に亀裂が生まれている。「#MeToo」運動などとも呼応するミーガン・ラピノーのような男性支配やジェンダー不平等を厳しく批判する女性アスリートの登場、「#BlackLivesMatter」運動のパフォーマンスのひとつとなった「膝つき行為」のコリン・キャパニックらグローバルな反人種差別運動の起点となる黒人アスリートの台頭、スポーツ界最大の権威であるIOCに意見し、東京2020の開催を延期に持ち込んだアスリートの声。

 いまやアスリートたちは声を挙げ、抵抗を表現し、支配と闘う運動のただなかにいる。その一方で、大坂なおみや八村塁の「政治的」発言や行動への猛烈なバッシングも起きている。まさにいまアスリートの身体は、政治そのものなのだ。

 今回の「聡子の部屋」では、このような新しい時代の流れを「ポスト・スポーツの時代」として捉え返す。女性アスリートや黒人アスリートたちの表現と身体を読み解きながら、政治からもっとも離れた存在だとされてきたアスリートたちの政治表現について考えてみたい。まずは、「その魚があなたを食べてしまえばいいのに」という大坂なおみの発言から、キックオフ!


日 時:2020年7月22日(水)18:30開場/19:00開演

参加費:1500円


山本敦久(成城大学教授)

成城大学社会イノベーション学部教授。専門は、スポーツ社会学、カルチュラル・スタディーズ。著書に『ポスト・スポーツの時代』(岩波書店、2020)、『日本代表論:スポーツのグローバル化とナショナルな身体』(せりか書房、有元健との共編、2020年)、『反東京オリンピック宣言』(小笠原博毅との共編、航思社、2016年)、『やっぱりいらない東京オリンピック』(小笠原博毅との共著、岩波ブックレット、2019年)、『出来事から学ぶカルチュラル・スタディーズ』(田中東子、安藤丈将との共編、2017年、ナカニシヤ出版)など。


ポスト・スポーツの時代


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